2012.05.07 Monday
長野へ
今年のGWは、義理の姉夫婦のいる長野市へ行ってきました。
3日の朝8時過ぎに出発し、小国や新潟経由で長野に行きました。
昨年は東北道が渋滞したので、渋滞覚悟でいたのですが、
拍子抜けするくらい順調で、途中のPAで昼食をとりながらも
14時半には着いてしまいました。
姉夫婦も3日は移動だけで夕方に着くつもりでいたらしく、
特に予定は立てていなかった様子。
で、結局子供を近くの公園で遊ばせてから
5時過ぎには酒盛りが…。
そこにあった長野の地図を何気なく見てみると、
なんとちょっと車で行ったところに
川中島の古戦場跡や松代城跡、
真田信之や山本勘助の墓などが載っているではありませんか!
ちょっと興奮して妻にそのことを教えると、
「何それ?すごいの?」
と、冷ややかな反応。妻に話すのを止め、一人地図を見ながら
ビールを飲むのでした。
翌4日は、みんなで善光寺へ行きました。
長野の市街地は、私的には山形と大して変わりないのかな、
と思っていたのですが、北野文芸座などがあったりして、
趣のある建物や、文化的な香りがして
山形とはちょっと違う感じでした。

善光寺は激混みで、何をするにしても並んでいるし、
思うように行動が取れません。
子供達がアイスを食べてる隙に、一人で本堂に入ってみましたが、
内陣参拝は50分待ちで、びんずる尊者様も人が取り巻き、
壁も見えないくらい人だかり、というか人しか見えない状態だったので
もう諦めて帰ってきました。
また時間が余って近くの公園で子供達を遊ばせていましたが、
長野まで来て遊具で遊ぶ子供をただ見てるのも
もったいないと思い、妻にお願いして
一人松代城跡に行くことにしました。
松代城はあまり有名ではないと思うので一応説明すると、
元々は海津城といって武田信玄が川中島の合戦の際に築城したもので、
武田家が滅亡し、豊臣家も滅亡した後、
最終的に真田信之(真田幸村の兄)が治めた
松代藩のお城です。その後真田家は幕末まで松代藩を治めました。
松代城跡に近づくにつれて、町のいたるところに
真田家の家紋、六文銭が見られ、テンションが上がっていきます。

やがて松代城跡に着くと、意外とGWにもかかわらず、
人は適度な感じでした。
入り口にあった当時の松代城の図を見て、

「むむ、これだけ川と堀に囲まれて、真田の兵法を以ってすれば
かなりの難攻不落の城だったに違いない。」
などと勝手に妄想をふくらませます。
現在残ってるのは本丸と大手門、石垣くらいで、
中は市民の憩いの場になっているようです。





せっかくなので真田邸と文武学校も見てきました。
真田邸の奥座敷(奥さんなどの部屋)は天井まで
装飾されていて、きれいでした。あまり古い日本家屋で
天井に壁紙(?)が貼ってあるのって見ない気がします。
因みに客間などは普通の板張りでした。

文武学校は所謂藩校らしく、ほぼそのままの形で残っているし、
中にも入れるので、どんな感じで授業をしていたのだろうと、
想像を掻き立てられます。




真田宝物館も見学し、一人満喫して帰りました。
翌5日は長野を後にしたのですが、
最後に家族で古戦場跡に行くことにしました。
古戦場跡には八幡神社と、信玄・謙信の銅像があるだけで
あとは広い公園になっているだけです。
正に「兵どもが夢の跡」と言う感じです。

せっかくなので次女に写真を撮ってもらいました。
何気に通りすがりの人達の会話を聞いてると、
興奮気味に合戦の模様を説明する夫と、
「へぇ。」とあまり興味なさそうに聞いてる奥さんの組み合わせが
いたるところにいました。
それにしても川中島の合戦場跡を見たいと高校生の頃から
思っていたのですが、思いがけず今回見れて、
とても有意義な長野旅行でした。
3日の朝8時過ぎに出発し、小国や新潟経由で長野に行きました。
昨年は東北道が渋滞したので、渋滞覚悟でいたのですが、
拍子抜けするくらい順調で、途中のPAで昼食をとりながらも
14時半には着いてしまいました。
姉夫婦も3日は移動だけで夕方に着くつもりでいたらしく、
特に予定は立てていなかった様子。
で、結局子供を近くの公園で遊ばせてから
5時過ぎには酒盛りが…。
そこにあった長野の地図を何気なく見てみると、
なんとちょっと車で行ったところに
川中島の古戦場跡や松代城跡、
真田信之や山本勘助の墓などが載っているではありませんか!
ちょっと興奮して妻にそのことを教えると、
「何それ?すごいの?」
と、冷ややかな反応。妻に話すのを止め、一人地図を見ながら
ビールを飲むのでした。
翌4日は、みんなで善光寺へ行きました。
長野の市街地は、私的には山形と大して変わりないのかな、
と思っていたのですが、北野文芸座などがあったりして、
趣のある建物や、文化的な香りがして
山形とはちょっと違う感じでした。

善光寺は激混みで、何をするにしても並んでいるし、
思うように行動が取れません。
子供達がアイスを食べてる隙に、一人で本堂に入ってみましたが、
内陣参拝は50分待ちで、びんずる尊者様も人が取り巻き、
壁も見えないくらい人だかり、というか人しか見えない状態だったので
もう諦めて帰ってきました。
また時間が余って近くの公園で子供達を遊ばせていましたが、
長野まで来て遊具で遊ぶ子供をただ見てるのも
もったいないと思い、妻にお願いして
一人松代城跡に行くことにしました。
松代城はあまり有名ではないと思うので一応説明すると、
元々は海津城といって武田信玄が川中島の合戦の際に築城したもので、
武田家が滅亡し、豊臣家も滅亡した後、
最終的に真田信之(真田幸村の兄)が治めた
松代藩のお城です。その後真田家は幕末まで松代藩を治めました。
松代城跡に近づくにつれて、町のいたるところに
真田家の家紋、六文銭が見られ、テンションが上がっていきます。

やがて松代城跡に着くと、意外とGWにもかかわらず、
人は適度な感じでした。
入り口にあった当時の松代城の図を見て、

「むむ、これだけ川と堀に囲まれて、真田の兵法を以ってすれば
かなりの難攻不落の城だったに違いない。」
などと勝手に妄想をふくらませます。
現在残ってるのは本丸と大手門、石垣くらいで、
中は市民の憩いの場になっているようです。





せっかくなので真田邸と文武学校も見てきました。
真田邸の奥座敷(奥さんなどの部屋)は天井まで
装飾されていて、きれいでした。あまり古い日本家屋で
天井に壁紙(?)が貼ってあるのって見ない気がします。
因みに客間などは普通の板張りでした。

文武学校は所謂藩校らしく、ほぼそのままの形で残っているし、
中にも入れるので、どんな感じで授業をしていたのだろうと、
想像を掻き立てられます。




真田宝物館も見学し、一人満喫して帰りました。
翌5日は長野を後にしたのですが、
最後に家族で古戦場跡に行くことにしました。
古戦場跡には八幡神社と、信玄・謙信の銅像があるだけで
あとは広い公園になっているだけです。
正に「兵どもが夢の跡」と言う感じです。

せっかくなので次女に写真を撮ってもらいました。
何気に通りすがりの人達の会話を聞いてると、
興奮気味に合戦の模様を説明する夫と、
「へぇ。」とあまり興味なさそうに聞いてる奥さんの組み合わせが
いたるところにいました。
それにしても川中島の合戦場跡を見たいと高校生の頃から
思っていたのですが、思いがけず今回見れて、
とても有意義な長野旅行でした。
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